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暮らしの点と線

@suzuki_buffalo 結びます

悪の教典

日記

 特に告知はしていませんでしたが、秋口まで愛知県で暮らすことになりまして、現在は名古屋駅から鉄道で数十分ほどの郊外に居を構えております。地元の方にはそれぞれ思い入れもあるでしょうから、町の様相について何か批評めいたことはいたしませんが、都心部を離れて静かな地方都市の一角で暮らしていると、自然と心が安らいでいくのを感じます。ぼくの生活圏では、お昼はのどかで、決して多くないはずの飲食店にも順番待ちの列はできません。夜は夜でほとんど人通りがなく、しんと静まりかえった夜がひさしぶりで、少しざわざわします。そのわりには朝の時間帯になると、国道に流れる交差点には右折待ちの列が遠くまでずらりと並んでいるわけですから不思議です。国土は狭くても、おおきな日本です。どこに行っても、人がたくさん暮らしているのだなあ、と実感しています。

 

 そういった暮らしのなかで、単なるすれ違いにとどまらず、なんだかどうして存在を認知してしまったような人物が幾人かおります。

 自宅から徒歩数分のコンビニエンスストアのオーナーは、ぼくが仕事を終えて帰宅する深夜〇時から一時の時間帯はいつもレジに立っており、翌朝さて出勤だと朝食を購入する際もやはりレジに立っているものですから、もうすっかり顔なじみになってしまいました。ある時レジで「いつも遅いですね」などと声をかけられたのですが、その後、とある昼下がりに社用車で何気なく店に立寄ってみると、やはりレジにはオーナーが立っていたものですから、遅くまで働いているのはお互いさまなのだなと妙な連帯感を持ってしまい、最近では、少し遠くてもその店まで歩くようにしています。

 そのコンビニエンスストアからさらに数分歩くと小さなラーメン店があるのですが、そこにもまた顔なじみの店主がおります。よくある暑苦しい系のラーメン屋なのですが、そのような志を店内やメニューに散りばめた時から大分時間が経過しているようで、すっかり牙のぬけた、燃えかすみたいにだらけた店主が良い味を出しており、気付けば足しげく通うようになっておりました。というより、近辺にラーメン店がここ一店舗しか存在しないという事情もあるのですが――とにかくぼくは、夢やら感謝やらを謳うイケイケ系の人間からいつの間にか足を洗い、オーダー時さえ全く声を張らない店主をなぜだか強烈に記憶してしまったのです。ちなみにこのラーメン屋は麺が本当に不味く、スープも特に言及することがない微妙な仕上がりなのですが、チャーシューの味が抜群でチャーハンもべらぼうに美味いためかろうじて流行っているようです。

 

 さて先週の終わりごろだったでしょうか、ぼくがいつもの店でラーメンを食べた帰り道、国道に流れる交差点でなにやら白い光が高速で点滅しているのを見ました。なんだろうと近寄ってみると、車両レーンの信号待ちに小さなバイクが止まっており、おそらくせっせと改造したのでしょう、そのバイクの後輪下部がばかみたいにぴかぴかと光っていたのです。車両の後部には二本のパイプがニョッキと伸びており、そのパイプにもたれかからんばかりの角度で、えらく小柄な若い男がつまらなそうにふんぞり返っておりました。無地のヘルメットを野球帽みたいにさかさにかぶり、サイズの合わないクロックスを履いています。これが彼なりの邪悪の象徴なのでしょう。ぼくは車両もまばらな交差点に立って、その精一杯の邪悪はいったい何に対して向けられているのだろう、と少し考えこんでしまいました。反抗に教科書はありませんが、風習じみた土着文化がそうさせるのかもしれません。彼等には彼等の教えがあり、そういったものを偶然に目にすることも、見慣れない土地で暮らすたしなみでもあるのかな、と考えています。