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暮らしの点と線

@suzuki_buffalo 結びます

雪隠入門

 道を歩いていると、手提げの鞄を何かに引っ張られる。ぎょっとして振り返ると、何者かに掴まれた訳ではなく、自分から道端の自転車に引っ掛けてしまっただけだとわかる。ぼくは基本的に身体を操ることが苦手で、その中でも特に「身体の延長」という項目の成績が著しく悪い。手提げ鞄を持つと、自身の腕の長さに加えてその鞄の体積を考慮して移動する必要があるのだが、ぼくにはそれがどうにも上手くいかないのだ。おそらく、自分の身体の末端まで意識が行き渡っていないのだろう。その証拠に、ぼくは刃物を扱うたびに、必ず身体の末端に強烈な怪我を作っており、頭と両腕と両脚の五体のうち、左脚を除くすべての部位で縫合手術を受けている。ちなみに無傷の左脚には三度の火傷の痕があり、数年経った今でも皮膚が完全に再生していない。

 

 人々が当たり前にこなせるはずのひとつの動作。その動作の数フレームのうちのどこかのステップで、ぼくは必ず失敗をしてしまう。ぼくのように身体感覚に乏しいのろまな人間は、正しいやり方を繰り返し繰り返し身体に叩き込む事でしか、上手な操作を行えない。時折、身体に関するすべての日常活動に、体系立った教則本があれば良いのにと思う。不器用なぼくの唯一の長所は、事前に取扱説明書をきちんと読む性質を備えている点だ。平坦な道でも躓かずに歩く方法を、ジョッキを倒さずに正確に肘をしまう方法を、完成直前の炒飯をきちんとすべてフライパンの上に着地させる方法を、ぼくは知りたくてたまらない。ぼくの生活におけるすべての行動には、必ず何かしらの欠陥が存在している。

 

 恥ずかしながら、この歳になっても尚、自身の排泄時の所作が適切なのかどうか判断がつかない。 実際、御手洗いの個室の内部とはプライベートの極致であり、他者と比較をするということがない。親しい友人を招いてどんちゃん騒ぎで排泄などはしないし、家族団欒の排泄というのもまた行わない。個室便所は完全に個のみの空間であるのだ。また排泄手順や作法についても、児童書のほかに参考書もない為、個々人それぞれがそれぞれに独自の慣習で行っていると断定できるだろう。他人がそこで何をしているのか、その仔細を誰も知らない。ぼくたちの日常より切り離すことはできないそれは、水の流れるブラックボックスなのだ。

 

 便器に腰掛け、ぼくはいつも「これで本当に正しいのだろうか」と考える。実際に、おそらく日本の平均的な排泄基準に則って設計されたであろう個室便所は、ぼくが排泄途中であっても御構い無しで勝手に自動水洗を開始するし、照明だって前触れなく落ちてしまう。平均的な日本人のための排泄スペースに於いて、その枠の中に綺麗に収まることのできないぼくは、日本人平均を大きく外れた排泄を行っているのかもしれないのだ。かといって、ぼくの排泄が世界基準という訳では決してなく、寧ろ日本の個室便所は世界の要人が感動するほどの高品質であるというのだから、そうした排泄先進国の日本に生まれていながら日本的な排泄に馴染むことのできないぼくが純粋に劣っているということは自明だった。

 

 近年、白地に大きな黒文字の装丁の自己啓発本が書店に多く並ぶようになった。中身もまた画一的で、各章の終わりに要点の纏めが用意されており、馬鹿でも何か解った気になるような親切丁寧な設計なのだ。ぼくは身体感覚が馬鹿になったまま生まれてしまったため、そのような馬鹿にも体系的に理解できるような排泄入門が販売されることを切に願っている。二〇〇〇円までなら喜んで支払う。薄っぺらな新書でも構わない。ぼくに現代人の排便を、ぜひ指南して頂きたい。これは訓練ではない。繰り返す、これは訓練ではない。