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暮らしの点と線

@suzuki_buffalo 結びます

歳月記

 帰省の折、祖父が今年で八二歳になると耳にした。「爺さんもう八二で、いつ死ぬるかもようわからんのに、元気じゃろ」と祖母は言う。確かに祖父はまだまだ利発で、痴呆者特有の愚鈍さはない。四〇歳で独立し、地域の仕事を引き受けて繁盛させた。引退後は「何か趣味が欲しい」と言って畑違いの農業を始め、今や農業だけで孫の年収を超えるまでになっている。近隣の商店には、野菜とともに祖父の顔が並んでいた。
 祖父にはもう一つ趣味がある。農業に手を出して直ぐの時、畑から土器が出土し、それが切欠で地域史の編纂に携わるようになった。節くれ立った指で出土品の写真をなぞり、その発見の様子を語る祖父は、確かに年齢よりも数段若い。しかし、その実やはり腐臭のようなものを纏っており、溌剌とした外面を一皮捲れば、生命を維持する機能の全てがやはり末端から壊死しているのだろうと判った。どこかに影を落としたような快活さは、当人の衰えを最もよく表していた。

 幸いにも鈴木家は、ぼくの物心がついてからは親族内での訃報はなく、八二歳の祖父を筆頭に誰一人欠員は出ていない。ここ二六年、そうだった。しかし今後は、どうなるかわからない。帰省を終え、ラッシュの中で東京へ向かいながら、あと何度こうして実家に戻れるだろうかと考えていた。実際、費用や時間のことを考えると、帰省は決して楽なものではない。実家に戻る理由が複数あるうちは、年収カーブも地を這っていくだけだ。孝行のしたい時分に親はなし、という言葉は、平成世代には殊更に重くのし掛かっている。

 

 東京に戻った次の日のことだった。母からぼくの身を案ずるメッセージが届いた。元来、度を超えた心配性を持つ母だったので、何はなくとも心身を気遣う連絡は頻繁に届いていた。しかし、今回の連絡はそれとは少し違っていた。ぼくの身を案ずるだけの何か特別な理由があるようだった。翌日もまた届いた。日々立て続けに届いた。

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数日もするころには、メッセージの内容はより具体的になっていた。それは警鐘だった。自分のせいで、実父がぼくや家族の命を狙っている。このことは誰にも言ってはいけない。誰が訪問してきても、部屋の扉を開けてはならない――。年明けのけだるい職場で、携帯電話が鳴るたび、ぼくは少しだけ身構えた。毎日少しの残業はあったが、その週のぼくは言いつけ通りきわめて早く帰宅することを心掛けた。歩行者とは慎重に距離をとって歩いた。そんな必要はないと判っていても、そうした。

 一週間は驚くほど早く過ぎ、休日となった。連絡はぱたりと止み、昼下がりは嘘のように凪いでいた。特に予定はなかったが、外出をしようと思い立った。家でじっとしていると、ぼくの方が先に狂うような予感がした。靴を履き、覗き窓に片目を預ける。不審な影はない。がちゃり――自分でも驚いたが、この動作には少しだけ勇気が必要だった。開いたドアと壁の間に、粘膜のようなものが白く細く糸を引いていた。幼少期より蓄えてきた想い出の皮膜を、大人になったぼくの身体は無意識にぶちぶちと千切った。ひと足、ふた足、扉を閉める。アパートの外廊はまったく静かで、外はしっとりと冷え込んでいた。当座の危機は去り、もやもやとした安堵が残った。不審な影があっても、なくても、どちらかが確実に発狂しているということだった。

 喪失は、時間の問題のように思えた。