暮らしの点と線

@suzuki_buffalo 結びます

春の鳥

 光陰矢の如し。日々はめまぐるしく、人生はままならない。そうでなくとも、春先の陽気にも似た暖冬で、どうにも季節感が掴めていない。四季が円のように一巡するとして、その穏やかなグラデーションを示すつぶさな芽吹きなどを嗅ぎ分けることによって、自身が、世間が円弧のどこにぶら下がっているのかをおぼろげに掴んでいたのだが、近年はそれがうまくいっていない。八月の終わりに記事を投稿してから今日に到るまで、なぜだろう、暖かい日々が続いていた。

 新しい部下は中国人で、名を王[Wang]といった。以前に発展途上国で現地のスタッフを部下とした経験からだろうか、ぼくが彼の指導係となった。やはりと言うか、王は異文化の塊で、おまけに啓蒙な宗教家であり、王は毎週末、彼らのいう教会みたいなものに足繁く通った。教会内では重要な地位にいるらしく、どうしても欠席はできないそうで、ぼく自身も休日出勤を是とする企業風土に辟易していたので、主に労務管理の観点から彼の宗教活動を全力で支援した。しかし、常習的な遅刻や勤務中の度重なる熟睡、都合が悪くなると外国人を全面に押し出す等といった王自身のさまざまな欠陥によって、ぼくの尽力むなしく、彼は役職者たちから宗教ごと叩かれてしまった。正論で殴られ続けた王は全身で落胆を体現しており、かける言葉を探しあぐねたぼくは本当にどうでもいいことを尋ねた。「中国では鳩を食べるって本当?」王は少しこちらに顔を向け「日ッ本のハトはオイシくないデスね」と答えた。彼はやはり異文化の塊で、翌日も勤務中に熟睡した。

 B-DASHが解散した。事前告知も解散ライブもなく、解散発表当日を以て静かに活動を停止した。ぼくは彼らが切掛で楽器を購入し、その後の半生を音楽活動に費やしてきたのだが、そのぼくの経験則でいうと、彼らの解散は深い亀裂を伴うもので、再結成はないのだろうなと感じた。元々、音楽を趣味として続けていこうとする道楽者は大なり小なり人間性に破綻がみられ、そのような欠陥人間の輪の中に何年もどっぷり浸かっていると、他人の多少の邪悪には動じなくなり、五分十分の遅刻は争いに値せず、数千円程度の金銭トラブルも水に流すことができるようになる。そのような中でも唯一、縁切りに値する一線を引くとすれば、法令や倫理道徳といった基礎地盤における重大欠陥の発覚以外に他ならず、ましてや人気の低迷があったといえど商業基盤に乗った二〇年選手が最終公演もなしに当日付で突然解散を発表という事態はやはり異質であるのだった。ぼくはあまり熱心なファンではなかったので、音源こそ集めてはいたが、ライブ等に足を運んだことはなかった。少し、心残りである。複雑な気持ちで、彼らの楽曲を数曲、ギターで弾いて歌にした。押弦する指先はぎこちなく、声も上手に出て来ない。ギターをはじめたあの頃と同じだった。わくわくした気持ちだけが、どこかへ行った。

 二〇一六年は、空っぽだった。出席のできた集まりと、やりたかったであろうことが、砂みたく山なりにくずおれている。掴むことが下手なのだ。この歳になっても、やはり、そうなのだ。本日もやはり春先のような暖気で、暦を見るとたしかに春が近かった。昨日の強風はそれだったのだろうか。新しい一年が、もうすぐそこまで来ている。

此の家の記録

 台風とともに繁忙期が過ぎていった。低気圧が去ったおかげか、最後の夏は青く青くからりと晴れた。九月を目前に控えた愛知県はまだまだ日中は残暑がきびしく、しかし日が落ちてみるとたしかに秋の気配がする。関東の同期は十月、関西の同期は十一月に退職をする予定らしい。ぼくは冬になるだろうと思う。転職活動は日進月歩と言うよりは一進一退で、ぼくが二の足を踏んでいる間にも、あたらしい繁忙期がすぐそこまで迫っている。

 名古屋はぼくにとって新天地だった。新しい仕事に引っ張られて、生活も様変わりした。地元の個人商店でコーヒー豆を挽いてもらった。名古屋用にとダンベルを買い直した。自分自身が少しづつ、愛知県に根付いていく。経験もないのに中古のベースを買って、音階も知らないのにシンセサイザーを重ねて、新しく音楽を作り始めたりもした。疲労亀裂のようなものを感じながらも、ぼくは燃えかすを集めて火をくべようとしている。新しい環境は、どのような形であれ何らかの切掛をくれるのだ。

 八月最終日、ぼくは唐突に部屋の掃除をはじめた。仮住まいは、転居から三月に満たないながらも水回りを中心になにやら壊滅的な様相で、ヨシと意気込み腹に一本槍を括らねば手を付けられないほど仕上がっていた。蛙の卵に似たゼリー状のカビを食器から引き剥がし、ついでにシンクもざあっとひと撫でしてやる。手洗の床に転がる丸芯をすべて回収し、本体をブラシで擦ってやると、便器はみごとに陶器本来の色を取り戻した。床に転がるペットボトルはひとつも開封することなく中身ごと処理した。手を付けてみれば何ということはなく、小一時間程ですべてが綺麗になった。ほのかに洗剤臭の漂う室内で、ぼくは十月と十一月まであとどれくらいなのか考えていた。

 

悪の教典

 特に告知はしていませんでしたが、秋口まで愛知県で暮らすことになりまして、現在は名古屋駅から鉄道で数十分ほどの郊外に居を構えております。地元の方にはそれぞれ思い入れもあるでしょうから、町の様相について何か批評めいたことはいたしませんが、都心部を離れて静かな地方都市の一角で暮らしていると、自然と心が安らいでいくのを感じます。ぼくの生活圏では、お昼はのどかで、決して多くないはずの飲食店にも順番待ちの列はできません。夜は夜でほとんど人通りがなく、しんと静まりかえった夜がひさしぶりで、少しざわざわします。そのわりには朝の時間帯になると、国道に流れる交差点には右折待ちの列が遠くまでずらりと並んでいるわけですから不思議です。国土は狭くても、おおきな日本です。どこに行っても、人がたくさん暮らしているのだなあ、と実感しています。

 

 そういった暮らしのなかで、単なるすれ違いにとどまらず、なんだかどうして存在を認知してしまったような人物が幾人かおります。

 自宅から徒歩数分のコンビニエンスストアのオーナーは、ぼくが仕事を終えて帰宅する深夜〇時から一時の時間帯はいつもレジに立っており、翌朝さて出勤だと朝食を購入する際もやはりレジに立っているものですから、もうすっかり顔なじみになってしまいました。ある時レジで「いつも遅いですね」などと声をかけられたのですが、その後、とある昼下がりに社用車で何気なく店に立寄ってみると、やはりレジにはオーナーが立っていたものですから、遅くまで働いているのはお互いさまなのだなと妙な連帯感を持ってしまい、最近では、少し遠くてもその店まで歩くようにしています。

 そのコンビニエンスストアからさらに数分歩くと小さなラーメン店があるのですが、そこにもまた顔なじみの店主がおります。よくある暑苦しい系のラーメン屋なのですが、そのような志を店内やメニューに散りばめた時から大分時間が経過しているようで、すっかり牙のぬけた、燃えかすみたいにだらけた店主が良い味を出しており、気付けば足しげく通うようになっておりました。というより、近辺にラーメン店がここ一店舗しか存在しないという事情もあるのですが――とにかくぼくは、夢やら感謝やらを謳うイケイケ系の人間からいつの間にか足を洗い、オーダー時さえ全く声を張らない店主をなぜだか強烈に記憶してしまったのです。ちなみにこのラーメン屋は麺が本当に不味く、スープも特に言及することがない微妙な仕上がりなのですが、チャーシューの味が抜群でチャーハンもべらぼうに美味いためかろうじて流行っているようです。

 

 さて先週の終わりごろだったでしょうか、ぼくがいつもの店でラーメンを食べた帰り道、国道に流れる交差点でなにやら白い光が高速で点滅しているのを見ました。なんだろうと近寄ってみると、車両レーンの信号待ちに小さなバイクが止まっており、おそらくせっせと改造したのでしょう、そのバイクの後輪下部がばかみたいにぴかぴかと光っていたのです。車両の後部には二本のパイプがニョッキと伸びており、そのパイプにもたれかからんばかりの角度で、えらく小柄な若い男がつまらなそうにふんぞり返っておりました。無地のヘルメットを野球帽みたいにさかさにかぶり、サイズの合わないクロックスを履いています。これが彼なりの邪悪の象徴なのでしょう。ぼくは車両もまばらな交差点に立って、その精一杯の邪悪はいったい何に対して向けられているのだろう、と少し考えこんでしまいました。反抗に教科書はありませんが、風習じみた土着文化がそうさせるのかもしれません。彼等には彼等の教えがあり、そういったものを偶然に目にすることも、見慣れない土地で暮らすたしなみでもあるのかな、と考えています。