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暮らしの点と線

@suzuki_buffalo 結びます

高慢と偏見

DTM 日記

 大手企業の冬のボーナスは約90万円ほどだったらしい。それと比べてしまえば端金程度のものであるが、昨年末、地方中小企業勤務3年目のぼくにも待望のボーナスが訪れた。基本的に貯蓄がないので、家賃光熱通信費を削ぎ取られても銀行口座に小金が滞留していることそれ自体が有難かった。自転車操業の脚を止めたのは、就職以来これが初めてとなる。思い切った買い物をするのか、これを機に蓄えを作っていくのか――等と特に思い悩むことなく、衝動的にMacBookを購入することにした。考えてみれば、宵越しの金を持てたことは少ない。

 そもそもMacBookについては大学在学中より欲しい欲しいと金切り声を上げてきていた。黒人の子供はトランペットを、都心の大学生はMacBookを欲しがるものなのだ。といっても、ぼくはMacBookを小洒落た喫茶店で己の能力の担保にと引き回したい訳ではない。DTM環境の自室外への持ち出しを慎重に検討した結果「必要」と判断したのだ。足立区の木造アパートで怒り狂う暴漢の影に怯えながら弱々しい音をマイクに吐くのはもう御免だった。ぼくは生まれ変わるのだ。

 Appleの公式サイトでカチカチとボタンを押していくだけで、あなたにぴったりのMac製品が選定されるらしい。なんて親切なんだろう。作曲ソフトを動かすにはPCスペックが重要なので、モデルはもちろんMacBook""Pro""だ。30歳を間近に控え、すこしづつ老眼の気配を感じているため、サイズは大きめの15インチを選んだ。オプションは控えめに抑えたが、言わずもがな、保証プランにはしっかり加入しておいた。大満足の買い物だ。晴れてぼくは木造アパートの外に出ることができる。ひそひそ声のボーカルやソフトタッチのギターとは、おさらばだ。冬の朝に鼻孔を抜ける寒さに似た、つんとさわやかな気持ちだった。上機嫌のまま手続きを進め、バッグに入った商品をひととおり目で追い、会計を確認すると30万円を超えていた。高っけェ!!?新型MacBookProは賞与の額面よりも高額だったのだ。結局、ぼくはトランペットを18回払いのローンで購入した。

 こうして待つこと2週間と少し。一般的な常識を備えた音楽の好きな若者が「たぶん一生使うだろうから」と奮発して買うギターの2倍の値段のパソコンが届いた。高額な買い物のため、極力大切に扱いたい。本体保護グッズを調べてみると、いわゆるブロガー系のガジェットレビューサイトが大量にヒットした。信じられない量だ。そしてその有象無象たちは不思議なことに、皆一様に「スタイリッシュ」「スタイリッシュじゃない」のどちらかで商品を評価していた。なんでも、新型のMacBookはスタイリッシュさを追求した結果従来のUSB端子やHDMI端子が挿せない構造になっているため、延長コードの要領でポートを外付けする必要があるのだが、これがごちゃごちゃとしたタコ足配線となるためスタイリッシュではなく、しかしブロガーの私が紹介するこのUSBハブを使用すれば、Mac製品が本来備えたスタイリッシュさを維持したまま高い機能性を発揮できたりするらしい。うるせえ!!死ね!!!形から入るな!!!!情弱のぼくはヨドバシカメラに趣きそこで最高の買い物をした。ようやく、宅録環境が整った。

 巷ではsuchmosがアシッドジャズ世代だったアッパー系のアラフォーにバカウケで、調べてみるとメンバー全員がぼくより年下らしい。素晴らしいの一言である。ぼくはもう若者とは呼べない年齢になってしまったが、今年の目標として、年相応の落ち着きをもって、ゆっくりと自分の趣味に没頭していきたい。スタイリッシュでなくてもよいのだ。愚直に向かっていくことがよいのだ。サーバルちゃんやみりあちゃんもそんな感じのこと言ってたし。結局、ぼくのMacBookは信じられないくらいのタコ足配線で、外部音源の処理に手こずり今日も元気に放熱している。最高の1年が、ついに始まろうとしている。

 

二流の人

日記

 良質な新卒求人は春先から夏にかけて多く見受けられるが、秋を過ぎる頃にはぐっと数を減らし、やがて冬になり、翌年度の採用求人が掲載される頃になっても売れ残り続ける求人の質はひどいもので、しかし追い詰められた就活生は得てして頭が狂っているので、暖かい家庭や豊かな老後の幻想をかなぐり捨て、中小零細企業の正社員という考えうる限り最悪の道へと歩を進めてしまう。夢破れ、半ば人生を諦めながらも、正規雇用という最低限のラインには踏みとどまっておきたい――そのような生真面目な人間の判断力が鈍った時こそが中小零細企業の採用タイミングであり、弊社の採用活動が年明け1月から2月にかけて行われるのにもそうした理由がある。そして4月、入社式の段になって、壇上に一列に並べられた新卒社員たちの、フレッシュと形容するには力ない卑屈をたたえた笑顔がぼくの哀愁を誘うのだ。

 2013年のぼくは身から出た錆が豪雨のごとく降り注ぎなにやらおかしなことになっていた。人生が錐揉み回転して頭から沼地に突っ込み機体の残骸は燃えていた。大学卒業を間近に控えた1月にようやく職探しをはじめたのだが、上記のとおり冬も現役の新卒求人はどうしようもない屑ばかりで、国内外を飛び回りながら能だか歌舞伎だかのセットを設営し続けて手取り13万円という求人を眺め、こういう形で人生ごと旅行に出掛けるのもひとつの手なのではと本気で考えていた。結果的に、ぼくは歌舞伎より2万円ほど手取りの高い求人に滑り込んだ。殆どワンルームに近いオフィスはとても手狭で、社員の数は片手で足りるほどだった。くすんだ新卒切符は、裁断機に似た不穏な閉塞感にゆっくり飲み込まれていった。

 そこからの半年は早かった。4年生大学に入学し、6年間の高等学部教育を修了した24歳。遅れてきた新卒ルーキーのぼくは、これまでの調子が嘘のように、驚くほど時間を守り、物をなくさず、また発作的な失踪をすることもなく働いた。社会との適合に強烈なアレルギーを持つぼくにとって、これは奇跡の半年だった。いつの間にか、繁忙期に入っていた。労働時間と業績が、右肩上がりで絶えず上昇してゆく。奇跡は、血便を出し点滴を打つに至るほどの多大な疲労と猛烈なストレスとなった。そして、これは殆ど偶然に近いのだが、その様子を呪詛のポエムに変え延々とTwitterに書きつけているうちに、繁忙期が過ぎ、ぼくはなぜか生き残ってしまった。頑丈であったのか、鈍感であったのかは定かではないが、ともかくぼくはくずおれることなく年を越した。単純に、運が良かったのだ。

 今年もまた、弊社の採用シーズンがやってきた。新卒採用市場はかつてない好景気で、敗戦処理イベントの参加状況から察するに、売れ残っている学生も例年の半数以下であろうと予測される。そしてこの先は大半の優秀な学生には関係のない話かもしれないが、もし、卒業を間近に控えた現在もなお未だに就職先の決まっていない学生がいるならば、この時期の求人は等しく希望がないため、半期休学などの手続を行い新卒状態を維持したままで翌年度の求人を狙ったほうがいい。ただ、それがどうしても困難で、なんとしても今年度のうちに就職を行いたい場合は、腹を括って沼地を漁りながら比較的形の良い小石を探し、それを己の満足とするとよい。注意点として、企業側の提示する情報を信じないこと。面接の際に不穏を感じたならば、その嗅覚が正しい。そして、判断基準として、下記の記事を熟読するとよい。空前の就職好景気の中、最悪の中から比較的ましな最悪を選ぶ東京都知事選にも似た就職活動に挑む若者たちが救済されることを願ってやまない。

 

syakkin-dama.hatenablog.com

 

春の鳥

日記

 光陰矢の如し。日々はめまぐるしく、人生はままならない。そうでなくとも、春先の陽気にも似た暖冬で、どうにも季節感が掴めていない。四季が円のように一巡するとして、その穏やかなグラデーションを示すつぶさな芽吹きなどを嗅ぎ分けることによって、自身が、世間が円弧のどこにぶら下がっているのかをおぼろげに掴んでいたのだが、近年はそれがうまくいっていない。八月の終わりに記事を投稿してから今日に到るまで、なぜだろう、暖かい日々が続いていた。

 新しい部下は中国人で、名を王[Wang]といった。以前に発展途上国で現地のスタッフを部下とした経験からだろうか、ぼくが彼の指導係となった。やはりと言うか、王は異文化の塊で、おまけに啓蒙な宗教家であり、王は毎週末、彼らのいう教会みたいなものに足繁く通った。教会内では重要な地位にいるらしく、どうしても欠席はできないそうで、ぼく自身も休日出勤を是とする企業風土に辟易していたので、主に労務管理の観点から彼の宗教活動を全力で支援した。しかし、常習的な遅刻や勤務中の度重なる熟睡、都合が悪くなると外国人を全面に押し出す等といった王自身のさまざまな欠陥によって、ぼくの尽力むなしく、彼は役職者たちから宗教ごと叩かれてしまった。正論で殴られ続けた王は全身で落胆を体現しており、かける言葉を探しあぐねたぼくは本当にどうでもいいことを尋ねた。「中国では鳩を食べるって本当?」王は少しこちらに顔を向け「日ッ本のハトはオイシくないデスね」と答えた。彼はやはり異文化の塊で、翌日も勤務中に熟睡した。

 B-DASHが解散した。事前告知も解散ライブもなく、解散発表当日を以て静かに活動を停止した。ぼくは彼らが切掛で楽器を購入し、その後の半生を音楽活動に費やしてきたのだが、そのぼくの経験則でいうと、彼らの解散は深い亀裂を伴うもので、再結成はないのだろうなと感じた。元々、音楽を趣味として続けていこうとする道楽者は大なり小なり人間性に破綻がみられ、そのような欠陥人間の輪の中に何年もどっぷり浸かっていると、他人の多少の邪悪には動じなくなり、五分十分の遅刻は争いに値せず、数千円程度の金銭トラブルも水に流すことができるようになる。そのような中でも唯一、縁切りに値する一線を引くとすれば、法令や倫理道徳といった基礎地盤における重大欠陥の発覚以外に他ならず、ましてや人気の低迷があったといえど商業基盤に乗った二〇年選手が最終公演もなしに当日付で突然解散を発表という事態はやはり異質であるのだった。ぼくはあまり熱心なファンではなかったので、音源こそ集めてはいたが、ライブ等に足を運んだことはなかった。少し、心残りである。複雑な気持ちで、彼らの楽曲を数曲、ギターで弾いて歌にした。押弦する指先はぎこちなく、声も上手に出て来ない。ギターをはじめたあの頃と同じだった。わくわくした気持ちだけが、どこかへ行った。

 二〇一六年は、空っぽだった。出席のできた集まりと、やりたかったであろうことが、砂みたく山なりにくずおれている。掴むことが下手なのだ。この歳になっても、やはり、そうなのだ。本日もやはり春先のような暖気で、暦を見るとたしかに春が近かった。昨日の強風はそれだったのだろうか。新しい一年が、もうすぐそこまで来ている。